「楽しく働くドットコム」は、べるこさんの50歳の誕生日である、2023年12月27日に設立されました。
このページでは、私のちっぽけな労働人生を振り返ってみたいと思います(≧∇≦)
自慢できる人生ではないですし、失敗も後悔もあげればきりがありませんが、その時は必死に生きていたわけだから、自分を責めても仕方ないですよね(;^ω^)
べるこさんの子供時代 ~商人一族に生まれて~
私は、両親、祖父母、おじさん達はそれぞれに小さい会社を経営しているような、商売人の家に生を受けました。高度成長期、バブル期と時代に恵まれていたため、経済的には何不自由なく育ちました、クリスマスにはたくさんのおもちゃ、お年玉もたくさんもらいました。
母は家の商売が忙しく、父は遊び人だったため、家族旅行の類はほぼいったことがなく、夏休みの宿題の日記に「今日は家族でルスツ高原に行きました。」と一度だけ嘘を書いた記憶があります。商売をやっていると、みんなが遊ぶ時が稼ぎ時なので、家族旅行とは無縁だったりするんですよね。
そんな子供を可哀想と思ったのか、夏休みと冬休みには必ず隣町のデパートに母が連れて行ってくれ、欲しいものを何でも買ってくれました。
お金の心配がないとお父さんは派手に遊びます。父が借金をつくってまで遊ぶので、両親の喧嘩が絶えないのが辛かったです。
私の家族は祖父母、両親、弟と私の6人家族で、時代も良かったため、父がギャンブルで借金をこしらえても、祖父も祖母も母も其々に収入があるから借金を払えてしまうんです。
するとどうなるか?
心配事がなくなり心が晴れやかになり、また新たな借金を・・(苦笑)
喧嘩が絶えない両親でしたが、離婚することもなく、今は仲良く暮らしてます(汗)。
べるこさんの労働人生 ~しぶとく生き抜いた30年~
このような子供時代を送った私ですが、高校生のとき、お寿司屋さんで皿洗いとホール係、ホテルでエビフライの衣付け係と漬物みじん切り係、水産加工会社でお魚を並べる係のバイトを体験しました。
専門学校生のときは、喫茶店のホールとチーズトースト係、ホテルの洋食ウエイトレス、国家公務員専用のホテルのフロント係のバイトをしました。
その後、20歳から50歳までの30年間はあっと言う間で、事務系の仕事、不動産や光ファイバーの営業系の仕事、証券会社で株を売買する仕事や、電子カルテの使い方を教える仕事、高級クラブのホステスさんなど、色々な仕事をしました。
実はクラブのホステスさんをやったのは、前職がブラック企業(理不尽パワハラ×奴隷労働)で、しかもなぜかそこで売り上げナンバーワンになってしまい、忙しさで死にかけたためでした。
どんなブラック企業だったのか?というと、朝8時に出勤し深夜2時に仕事が終わり、そこから雪かきをして家につくと深夜3時。その間の食事はパン一個を流し込むだけ。お昼休みも休憩時間も一切ないという・・・50㎏あった体重が1か月で44㎏に減りましたよ。
私以外は男性が4人いる事業所だったのですが、その中で売り上げナンバーワンだったんです。にもかかわらず、「お前は女だから気を使え」と言われ、意味もなく理不尽に怒鳴られる・・・いや~なオッサンが上司がいたわけです。
安室奈美恵ちゃんのChase the Chanceが流行していた時代で「セクハラ」なんて言葉も概念もない時代でした。男性社員が出勤したらお茶を出すなんていう謎の儀式も、どの職場でも当たり前にありました。しかも、その男性の好みに合わせて「この人はお砂糖多め」とかまで覚えないといけないんですよ。
『女なんだから誰よりも率先して気を使え』と理不尽に叱られているとき、心の中で思いましたよ『男だったら女の私より売り上げ上げろや😜』
「売り上げナンバーワンなのに虐められて、しかも奴隷労働ってアホくさっ!こんなオッサンにこき使われるなら、高いお給料もらって優雅に高級クラブで働いたほうがよっぽどいいわ」と若い私は思いついたのでした。
お昼はお給料が安くても楽な事務職をしつつ、週に何度か会社帰りに高級クラブへGO!最初は掛け持ちからのスタートでした。
そんなに長く水商売をやっていたわけでもないんですけどね。夜一本で働いていたのは4年くらいかな・・
隣の芝生は良く見えるものですが、昼には昼の、夜には夜の、経営者には経営者の、どんな世界であれ、身を置いてみなければわからない大変さがあるものです。
・・・そして時は流れ・・・
東日本大震災のとき勤めていた地元の会社はかなり気に入っていて自分には珍しく7年ほど勤めていたのですが、震災の影響で「突然の事業所閉鎖」で大量解雇( ノД`)シクシク…
その後、再就職先でパワハラに遭ったり、紆余曲折があり、気が付くと何の準備もなく「会社設立」し現在に至ります。
起業してからは、日本全国色々なところへ出向いて会社員時代には想像つかないほど視野が広がりました。
まさかの大地震→突然の解雇→転職先でパワハラ→引きこもる→起業→全国飛び回る。
人生なんとかなるもんです。
実は私、起業時(今から10年前)からリモートワークを取り入れていたんですね。通勤の必要もなく、何から何までオンラインで済む。そうなると、みるみる太っていくんですね。
気が付けば、+17kg増
身長160㎝で体重が70㎏いきそうになりさすがに焦って47歳にして本気でダイエット!
お腹の変化、やばすぎでしょ?
が、しかし!
栄養が足りないと人間鬱になるんですよ。
当初は更年期鬱だと思い込んでいたのですが、好き放題食べ出したところ、嘘のように「鬱」は消えました。
実は、ダイエットしていた47歳48歳の頃をのぞいては、50歳の誕生日を迎えた本日まで、ありがたいことに、病気も、世間一般に言われているような更年期障害の類の不調も一切ないんですよ。因みにいまだに老眼もなく健康そのもの。
あっ!見栄を張ってしまいました!
実は50歳を迎える2ヶ月ほどまえから、所謂”五十肩”のような関節痛が右肩にあります。(追記:その後、五十肩は自然治癒しました)
私の場合、手を上げるのは問題ないのですが、今までのように手を後ろに回すと「痛っ!」となるのです。とは言え、手を後ろに回さなければなんら気になりません。
ダイエットの話に戻しますが、私はお肉大好きな雑食の大食いなので、ダイエット時も好き放題食べていました。
では、どのようにして十数キロも痩せたのか?というと、炭水化物を一日一回にしていました。これがみるみる痩せるんですよ。あとは、ウォーキングですね。
ウォーキングは若い頃からしているのですが、ウォーキングしても炭水化物を一日三回摂取していたら痩せませんね(;^ω^)
心身を健康に保つことは”楽しく働く”上で必要不可欠です。
痩せたところで「心のバランス」を崩してしまうなら全く意味がないですもんね。これじゃあ、”楽しく働く”なんて到底無理なわけで・・・。
とは言え、見た目も大事ですよね・・・((+_+))
50歳からは、心身の健康を最優先にしつつ、無理のないダイエットをしていく予定。
50歳からの肉体の変化(老化)や、環境の変化(親の健康問題など)に伴い、どのように心身の健康を維持しつつ、どのようなスタイル、どのような戦略で”楽しく働く”か?
そんな情報も発信していきたいと思います。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
当サイトの行く末を、温かい目で見守って頂けると嬉しいです。
2023年12月27日 べるこさん